● 法廷闘争 ●
1999年9月、東京拘置所で拘留中の西崎プロデューサーの元に、松本零士氏から一通の訴状が届きました。(詳しくは西崎氏の元側近が立ち上げたホームページ http://member.nifty.ne.jp/NEWYAMATO/html にありましたが、今は見ることができません。アーカイブのココで見ることができる可能性があります。)
訴状は、
1 被告は,月刊誌財界展望及び朝日,毎日,讀賣,日本経済の各新聞誌上に別紙記載のとおりの謝罪文を掲載せよ。
2 被告は,別紙作品目録記載の各映画が被告の著作物であること,又はこれと同旨の記事を書簡,新聞,雑誌,パンフレット若しくはインターネット上において掲載し,頒布,販売,交付する等の方法によって流布してはならない。
とするもので、用は『西崎義展は宇宙戦艦ヤマトの著作者ではなく、私(松本零士)が著作者である。』事を、西崎プロデューサーに「法的に」認めさせようとするものでした。
“平成11年(ワ)第20820号 著作権侵害差止等請求事件,同12年(ワ)第14077号 著作者人格権確認反訴請求事件”
結果は原告松本零士氏の完全敗訴、そして同時に行われた著作者人格権確認反訴請求においては、西崎プロデューサーの主張が認められたのです。(松本零士氏側は控訴をしました。)
この裁判とその結果は、当時の熱心な宇宙戦艦ヤマトファンだけではなく、ヤマトを観て育った一般人、マスコミ、そして判決の事例としてこの裁判結果を資料とする法律研究や、大学での研究教材に利用する所など、大きな話題となりました。
判決内容の評価は、裁判を研究している弁護士事務所のサイトや、大学の教授のサイトなどを見ると、ほぼ判決を妥当としています。というか、判決がおかしいといっている研究サイトは、私は見たことがありません。
正直なところ極めて妥当な判決であり、これが逆の場合だったら、我が国のコンテンツ産業など成り立たなくなります。後に宇宙戦艦ヤマトの著作権保持企業がコメントを出していますが、松本零士氏は映画制作に関わった人物で、そこで生み出された著作物は、宇宙戦艦ヤマトの著作権に含まれるものでしかないのです。
また判決前の大方の世論でも、松本零士氏に否定的でしたが、松本零士氏のファンも多いヤマトファンの間では大きな議論になりました。その中でも一番困惑したのは、松本ファンではあるが、宇宙戦艦ヤマトが松本先生の原作とするには疑問を持っていた私のような人達だったはずです。「松本先生には裏切られた。」私の率直な当時の思いです。
そもそも「宇宙戦艦ヤマト=松本零士氏の作品」とする風潮は、暗黙の了解として存在していたものです。
こんな裁判さえ起こさなければ、宇宙戦艦ヤマトの著作権保有者である鞄喧k新社の許諾を受けて、松本零士氏が宇宙戦艦ヤマトの新作を製作しようとしても誰も文句を言わなかったかもしれません。いわばヤマトの原作者問題は、タブーだったのです。
タブーを冒してしまった松本零士氏に、又は松本零士氏が原作者になる事を願っていた人々に世論は残酷なものでした。
告訴から判決前までに起こった様々な世論に一番驚いたのは、当の松本零士氏だった事でしょう。まさか、これ程までファンから批判を受けるとは思っていなかったでしょうから。
そんな松本氏の狼狽した姿が、判決後に見られました。
「私がいなかったら、作品の1コマも存在しない」「西崎は悪魔だ、彼に味方する人物も赦さない!」さすがにこのような言葉を耳にしたときはショックでした。ただこれは、一時の感情からきたもので、その後は同じコメントは見当たりません。マスコミにさらされる有名人の性でしょう。
しかし判決の内容に一番頭を抱えたのは松本零士氏ではなく、他にいるのではないでしょうか。
これは私の想像ではありますが、松本零士氏が積極的にこの裁判を起こそうとした訳ではなく、松本零士氏が原作者であったほうが自分達に利益が上がると考えていた人達が存在し、その人達が裁判を起こすように働きかけたのではないか・・・?と考えています。
そしてその人達は裁判だけではなく、世論が宇宙戦艦ヤマトの原作者(著作者)は松本零士氏だ・・・とするように、必要以上にマスコミに働きかけて、世論の囲い込みを狙っていた疑惑があるのです。