The Nine Rooms
「交響曲 宇宙戦艦ヤマト」 超レポート
〜西崎プロデューサーに会いたい!大作戦!!〜
宇宙戦艦ヤマトシリーズとは何であろう?これは、アニメ本編だけを指すものではない。
「交響曲 宇宙戦艦ヤマト」は、アニメ本編「宇宙戦艦ヤマト 完結編」が作品最後を記念した一大作品であったのと同じく、音楽における集大成として企画された作品であり、後世に残る作品を生み出したい西崎プロデューサーの情熱が作り出した、宇宙戦艦ヤマトシリーズの1作品である。(交響曲
宇宙戦艦ヤマトのライナーノートを参考のこと。)
私は1984年当時の初演は、その存在すら知らなかった。
今回の公演は、宇宙戦艦ヤマトに人生捧げた者としては、絶対行かねばならぬ運命的なイベントであった。
ただ岡山から東京に行くことは、家庭と仕事を持った中流家庭(死語か?)においては、ちょっと隣町まで…的なわけにもいかない。
せっかくなら他の計画も立てようではないか…。
そこで私が1番に願い、思ったことは、「西崎義展プロデューサーに会いたい!」であった。
今回の演奏会、指揮者が初演の時と同じ大友氏であり、当然ながら招待状も西崎氏へは届いていることであろうが、なにせ西崎氏は腰を痛め、車イスでの生活である。
負担の大きいイベントに参加できるかどうか、微妙であると推測できた。
そんな折、私が以前お世話になった元WCCの社員、I氏が新作製作に携わっており、5月3日に開催されたヤマトパーティに来場されたことを耳にした。
I氏は西崎氏の右腕的存在であり、西崎氏の信頼厚い人物である。
私は1997年以降、接点の無かったI氏に連絡をとった。5月8日のことだ。
I氏は以前と変わらぬ声で、丁寧に私に対応してくれた。
だが肝心の西崎氏来場は、この時点では「未定」との事だった。やはり体調面が問題らしい。
だが望みは捨てまい。そして努力は惜しんではいけない。
私は西崎義展氏に、自分の思いを込めた手書きの手紙を送った。
この思いは、きっと分かってもらえるはずだ。
<5月16日>
10年ぶり(経由で来たことはある)の東京の景色は、あまり変わっていなかった。
池袋は昔の会社で経由した駅であり、遊びにも何度も来て知り尽くしたところであった。
だが今回、初めてのカルチャーショックを受けることとなった。
『改札を出られない!』
まさかスイカ専用改札とは思わなかった。
私は駅の自動改札機を通る時にはこだわりがある。6番か9番の改札機を通るのだ。(西崎氏の好きな数字)
そんなこだわりなどまったくの無意味。
岡山にスイカ専用改札など存在しないのだから…。
そんな池袋から西武池袋線へ。
大泉学園駅も、昔利用した最寄り駅である。
まだ駅前は工事中で、ゴミゴミとしていた時代だ。
懐かしい。なんと懐かしい場所であろう。そしてこの職場があった駅を最寄りとする、零時社がここにある。
零時社へは意外と簡単に行けた。
そこは閑静な住宅街の一角で、公園では近所の家族連れが遊んでいた。また近くの駐車場には「999」のナンバープレートをもつ車があった。
住宅が取り囲む、道から少し入った場所にある大きな白い建物。10数年前に零時社を訪問したときには気がつかなかった、監視カメラが目立っていたのには驚いた。
そしてこの大きな建物の中では、今何の作品が作られているのか?疑問を感じたものだ。
そして練馬へ。
練馬も人が多い。地方とはさすが違う。
駅近くのビル7F。そこに「ヤマト・スタジオ」はある。
入口2Fは自動ロックではあるが、何故か私は「どうぞ」と難なく通される。そんなに顔が知られていたか??
そしてエレベーターで7Fへ。
ドアが開いた瞬間、そこはまさに作業場だった。まさにアニメスタジオ。
有名どころのクリエーターさん。
声をかけるほどズ太くは無いので、綺麗なお姉さんにお土産を渡してさっさと帰還。I氏は不在であった。
池袋に戻り、今日の宿へ。
そしてスタジオに電話。
I氏に今日のことを伺う。
「西崎行くようだよ。」
おお!この言葉を待っていた!
偉大なプロデューサー様に会える至福!正直会えるだけで今回の東京行は目的を達したと言っても良かった。
17時、宿を出て芸術劇場へ。
ここでも驚くべき光景が。
池袋駅北口、外国人に占領されている。。。中国人か??
芸術劇場の長いエスカレーター。
昇りきったホールにはI氏がおられた。
20分ほど雑談とお礼をしていると、I氏の携帯が鳴った。I.I氏からのものであろう。
「今着いたみたいだから、行ってきます。」
I氏は駐車場へ降りて行った。
この間、会場にも多くのお客が集まりつつあった。
ああ、懐かしい人が。
みな偶然の再会である。私が居る事など知らなかったであろう。
若干年齢の変化は感じられるが、昔と変わらない姿。
NWAのさら辺氏に、私が以前より太ったのを指摘された時は正直ショックだった。(笑)
入場開始。
私はホールに残り、西崎氏の来場を待つ。
ほどなくして車イスをI.I氏が押して、西崎氏が…。
顔の艶がとてもいい。だが、声をかけると返答の言葉はボリュームが無い。70超えのご老体、当然であろうが、こちらの情熱を多くぶつけるには酷であると判断、その場を後にする。
公演の休憩中には、西崎氏は多くの方々に取り囲まれ、記念撮影や、励ましの言葉を受けておられた。
私もこの時間帯に、「西崎義展の手記」管理人の斎藤様にお会いする事が出来た。
I.I氏にも挨拶。しっかりと握手を交わした。
コンサートについて。
今回のコンサート、編成は12型だったと思う。
ただピアノの位置とかが独奏形態ではなく、どのようにやるのかと疑問があったが、大友氏のコメントが入ったり、第4楽章前に模様替えをしたり、クラシック演奏会としては 異例のプログラムとなった。
曲のテンポは若干遅めである。だがこれが第4楽章のラストに、素晴らしい残音を響かせた。
第3楽章のスキャット、川島さんとは違い、とてもクラシカル。
まるでオペラのようである。私は感動のあまり、涙を流した。
これも特記に値するが、コンサートで涙を流したなどという事は初めてである。しかも私だけではない。
一見するとヤマトファンとは思えない年齢層の方々が、すすり泣いているのである。それも1人や2人ではないのだ。
大友氏も懐古の念で涙ぐむシーンがあったが、この音楽と、個人の思い出が重なったとき、涙となるのだろう。
第4楽章。高等なテクニックに驚く。だが、残念ながらピアノの音が今ひとつ聞こえない。
CDは個別マイクで拾ったものを編集録音している訳で贅沢な意見かもしれないが、唯一のケチが音響であった。
コンサート終了後、お約束の飲み会。
飲み屋を知り尽くしたさら辺氏を筆頭に6名、池袋の夜に繰り出した。個人の名前を書いたら2ちゃんが騒ぎそうな方もご一緒。
夜の東京は刺激的。
人目を気にせず抱き合うカップル。
素肌見せすぎのギャル。
さすがは東京である。岡山でこんなことしたら、即通報である。(笑)
コンサートの余韻に浸りながら、友との語り合いで1日は終わった。
<5月17日>
雨である。残念だ。
早朝から東京観光。
ついでにエナジオ社にも行ってきた。
なんでこのビルにエナジオが?
行けば疑問も解消される。関連のテナントが入っているから。
観光と言っても人込みは基本ダメな私、予定を変更して川崎へ。
コンサートを聴いて帰るわけにはいかないので、開演までホールにてヤマトファンと雑談。
それにしても池袋川崎と、2公演とも観に来ている人がいるが、貴方達はヤマトバカですか??
私も仕事が月曜無かったら、間違いなく2公演行くヤマトバカですが…。
土産も買った。あとは帰るだけ。
新幹線で座席となりのお姉さん。アップルの機械でナルトを再生している。あなたオタですか?
親近感があったのと美人なので声掛けしようとほんの少しだけ思ったが、このお姉さん、携帯をマナーモードにしていない!あまりに常識が無いので冷めてしまった。(笑)
途中の新神戸。マスク姿の人が多いのには驚いた。
正直なところ、新型インフルエンザの影響で公演が中止にならないか…それが1番の不安材料であった。
新幹線の中、持病の悪化で気分は最悪。
吐き気や頭痛がする。。。
でも人生の記念に残るイベントを済ました後、このまま死んでも悔いはないさ!
心配してか妻と幼子が中庄駅まで迎えに来てくれた。
家庭の温かみにほっとする。
そして私を受け入れてくれた友に感謝する。
なにより、西崎義展氏がご健在であることに至福を感じながら、私の2日間は終わった。
次は12月11日!公開前日の東京を目指せ!